ちょうど街へ出る用事があったので、『コレクティブ 国家の嘘』(アレクサンダー・ナナウ監督)を観た。今年は映画館へ行くのはこれでまだ二回目と思うとうんざりする。ちなみに一回目は『アメリカン・ユートピア』。
舞台はルーマニア。ライブハウスで起こった火災をきっかけに、国家の欺瞞が暴かれていくドキュメンタリー。前半は果敢に真実を明らかにしていく記者を、後半は事件途中から就任した保健省の新大臣を追っている。2019年に第76回ヴェネツィア国際映画祭で上映され、2020年ルーマニアで公開。日本公開は2021年10月。
ライブハウスでの火災を生き延びて病院で治療を受けていた人たちが次々に死亡し、死者数が64名に膨らんだことから、これはおかしいんじゃないかということで製薬会社、病院、医療システム、政府と芋づる式に腐敗が明らかになっていくのだが、まあそれはそんなものだろうというシャレにならない感想を抱く。しかしその過程は実に壮絶で、掘れば掘るほど腐っていたという事実自体よりも、その蔓を引き上げていくのはごくアナログな手の力なのだということに感ずるところがある。
現地スポーツ紙「ガゼタ・スポルトゥリロル」の編集長カタリン・トロンタンと、チームに属する記者たち2人の顔は暗い。スクープを掘った喜びなどはかけらもなく、悄然としている。記者たちは我が子から制止され、テレビ番組では挑発的すぎると非難され、機関から家族を盾に脅しを受け、それでも土を掘り、蔓を引き上げる手を止めない。「メディアが国家に屈すれば、国家は国民を虐げるようになる」からであり、「国の機能不全が時に個人を押しつぶす」からだ。
さんざん逃げ回った保健省大臣は辞任へ追い込まれ、次に非政治畑からヴラド・ヴォイクレスクが就任する。
後半の主役となるヴォイクレスクは、アレクサンダー・ナナウ監督にオフィスを開放し、会見はもちろん前後のミーティングや移動の車中まで、大臣としての仕事のすべてを撮影することを許可しており、これがとにかく凄まじい。
改革への奮闘と、それをあざ笑うような根本的な腐敗と圧力、保身、無関心。政府の腐敗に直面し、彼は「芯まで腐敗している、あるいはやる気がない」と疲弊した顔で言い、じきに始まる選挙で社会民主党が当選すれば退任になり、そうすれば医療システムを改善するために苦闘したあらゆる作業は覆され無に帰すことを予知しながらも、最後まで職務を全うする。
社会民主党の圧勝結果に、こんな国に望みはない、30年は変わらない、おまえはよく頑張ったからウィーンへ戻れと言う父親に笑っていたヴォイクレスクは、その後もルーマニアに残り、保健相の再任などを経て、USRという中道政党に所属しているらしい。
最近のニュースを読んでいると、USR党首が次期首相に任命されていた。だが議会の承認を得られる見込みは薄く、仮に得られたとしてもこの危機的状況で政権を引き継ぐことになり、失敗すれば次はないだろう、というようなことが書かれていた。映画終盤のやるせない情勢を思い浮かべずにはいられない。現実は続いている。
日本も他人事じゃない、というのは明らかな事実だが、ガゼタ誌のような頑固なジャーナリズムも見当たらなければ(まさにメディアが国家に屈している)、この事態にカメラを抱えて飛び込み映画に変換する作り手がおり、それが真っ当に評価を受けるという地盤もまるで違う。どちらがどうと比べるものでもないが、他人事じゃないねなどと簡単に言ってしまえるわたしたちこそが、この国をここまで腐らせたのだと滅入らざるをえない。