熱が高いところへ昇るのを知ったねこたちは、本棚の上やキャットウォークの最上階でくつろぐようになった。
彼女らに使ってもらおうと思って買ったブランケットは、ねこたちの生活術とともに使われなくなり、わたしが拝借した(わたしが使いはじめてからというもの、ねこたちはちょくちょくブランケットを目指して椅子や膝にやってくる)。
暖かい昼間はソファにいることもある。正面のテーブルで本を読んでいるとき、ごはんを食べているとき、話をしているとき、お地蔵さんのように眠りつつ、たまに三分の一ほど開けた目をしばたたかせてわたしたちを見ている。
たまにはストーブの前にもやってくる。テーブルの足、椅子の足、わたしたちの足のあいだを水路のように縫って全身の力を抜く。
吾輩とふたつの安息と遊びの呼吸は、重なり、ズレる。
好みと気分、習性が、同じ時間に別の時間を作る。
夕方、キャットウォークで至福の面持ちで眠っている吾輩を見上げたふたつは飛び、登り、ずしずしと一心に進んでいく。一緒にくつろぎたくて、堂々とすり寄ってみる。しかし吾輩が至福地帯を共有することを受け入れるのは五度に一度くらいのもので、迷いなく迫ってきたふたつを吾輩はさっと避けて場所を変え、うらめしい顔をわずかに見せたあと、てきぱきと眠りを仕切り直す。
あるいは昼さがり、遊び盛りのふたつがめずらしくソファで寝こけているのを、吾輩がソファに手をかけて覗き見る。気配を察したふたつがわずかに目を開いて鳴く。吾輩は軽やかに飛びあがって、ふたつに寄りそってグルーミングをはじめる。が、なぜかまたたく間にキャット・ファイトへと発展する(そうなるんだろうなと思って見ていると、ほぼ毎度そうなるのだが、どの瞬間にスイッチが入るのか、そもそもどちらかに・お互いにファイトの意欲があったのかなかったのか、未だによくわからない)。
取っ組み合うには小さすぎるソファの上で回転してもつれあい、なんやかんやなんやかんや、ふたつは逃げるように飛び降りてその場を離れ、災難に見舞われたという顔で息をつく。
吾輩は誘いに乗ってこなかったふたつを面白くなさそうに見つつ、しゃーないという顔で空いた席をひとりじめする。はじめからソファの席を奪うつもりで事をしかけたようにも見えなくもないのだが、利発的でありながら計画性を持たないのが吾輩の愛すべきチャームなのだと思う。
彼女らの気の合わなさというのは、そもそも合わせることを知らないことからはじまる。
ズラすことを厭わないときに重なるものがある。他者と呼吸を合わせることに宿る愛もあれば、合わせることを知らないことが宿す美しさもある。
わたしの唾棄すべきプライドを照らし示してねこたちは、夜、やがて寝床に入った人間の胸の上へ、揃ってもそもそとやってくるのだった。そして静かに一つにくっついて、朝まで眠る。