六時前に起きると、ふたつはもうリビングのカーペットで待ち構えていて、そこへ立ち入ったわたしの足をかすめるようにお腹をみせてころんだ。7時半に家を出なければならない日で、もう予習はいいやと切り捨てて、ふたつのおなかを撫でた。家を出るとき、玄関近くで見つめるふたつと目が合うのがつらい。謝るけれど、謝るのはわたしの心をなぐさめるためで、とても彼女らのためとは言えない。
午前中の予定が終わると、過去も未来も霧散するような秋晴れで、駅とは逆の方向へすこし歩いて洋梨のショートケーキと焼き菓子を買った。歩いているうちに、秋晴れがだんだん夏をたぐり寄せはじめ、すっかり暑くなってしまったまま大船行きの電車に乗りこむ。車内全体が日曜日だ。晴れた川を渡り、こどもたちが叫ぶ。トーハク帰りの二人が図録を広げて楽しみをくりかえし、左薬指に明るい指輪をつけた二人が窓越しの陽ざしにもたれて居眠りする。
一直線に家へ帰ると、吾輩とふたつはベッドからちょっと顔をあげて、偶然性に遭遇した目できょとんとたたずんでいた。もう帰ってきたよ、お留守番ありがとう、というと、納得したのかしていないのかよくわからない顔で、ふたりはまた眠った。出かけにはひとの後ろ髪をひくような姿をみせるのに(ひかれているのはわたしで、彼女らがひいているわけではないのだが)、帰ってくるとこんなもので、わたしにはそれが幸福だった。そうか、帰ってきたのか。じゃ、もっぺん寝るか。わたしの存在などその程度のことで、その程度が、生活の基盤なのだ。