食事には、空腹を満たすだけではない儀礼的な側面がある。ケならばケなりの、ハレならばハレなりのしぐさや空間がある。自分のための、あるいは他人のための、あるいは自分たちのためのケアであったり、思想であったり、システムであったりする。それは人間の話であって、ねこはそういうある種のわずらわしさとは無縁だと思っていたのだが、そうでもないのかもしれない。食への欲望がそれほど強くないように見える吾輩は、とくに冬などは思い出したようにしか食べない。けれどわたしたちがわたしたちのごはんを作り終えるころになると台所にやってきて、やけに据わった目で、二本の前足を大きく横にひらいて鳴く。定位置を見ると吾輩のごはんのお皿にはそこそこの量のごはんが残っているのだが、吾輩はどうにも一歩も譲らないので、わたしはそのお皿をとりにいき、台所でごはんを少しを足して、定位置に置く。入れたよと言っても、吾輩はすぐにそこへは向かわずわたしをじっと見ている。そしてわたしたちが自分たちのごはんを食べはじめると、やがて吾輩がごはんを噛み砕く音が聞こえてくるのだった。ケにおける彼女とわたしたちのそれぞれの儀礼的行為が、互いの領域に重なりあって、いっしょに食べようという声を生む。大好きだよ。