8時50分羽田発、定刻をすこし巻いてシンガポール・チャンギ空港に着く。小さいころ、飛行の終わりを待つ七、八時間には、夜が三つくらいあったような気がしていた。搭乗橋に踏み出すと、呼吸を覆う湿気がせり上がってくる。国際線のターミナルにはノースリーブからダウンジャケットまで、いくつもの季節がある。夜中まで九時間半のトランジット、ひとつの夜。シンガポールは曇り、二十七度。大阪でもシンガポールでもパリでも、空港の周囲に伸びる広い道路はおなじ暗さで信号を放っている。
およそ二時間のディレイ、三時すぎに離陸。暗い機内で、どこかの子どもはどこかの言語でぐずった。子はただぐずりたいのではなくて伝えたいのだった。重みのないフィルムの弛み、飴玉の輝きのような光を飛び超えて闇へ行く。なぜ? これはミニシアターだなと思う。新開地、いまはなきKAVCシネマ。あるいは飛行のようなシアター。別の家があり、別の昨日があり、別の言葉があり、有限な場所でおなじ光を見る。おなじ座席が震えるのを感じ、おなじ闇へ行く。横顔と後ろ姿だけを知り、想像を隠しもち、明るみへ出るとともに忘れ去る。離陸までのカオスがしんと静まり、機体が安定するとふたたび渦巻きはじめる。しゃべり続ける金髪の女の子を見たら、後列で目をつむっている金髪の女の子を見る。