旅先でなんとなく居心地のよい土地があっても、滞在することと住むことは(一生を思えば誤差にすぎないにせよ、きょう一日のわたしにとっては)否応なしに別に意味を持つ。平気でいられずにコロナ禍の真っ最中に引っ越した土地は、平穏そのもののようですばらしかったのに、終わりがないということがひどく重かった。途方もなく、はじめて、できないことが重荷になった。どうにもならないと思った。いまここで毎日のように同じ通りを歩いて、それだけで、そのたびにまだ新鮮に、なんとなく大丈夫だろうと思う。大丈夫でないことは大丈夫でないまま、どうにもならないことはどうにもならないまま。甘美も正直も、流れる時間の長短も、そんなもんだろうという逆説的な慰安も、この足で描けるほどの円につつまれている街が、けったいで魅惑的で、安心する。