さみしさについて、吾輩はそれを忘れないが、ふたつは忘れる。吾輩は、昨日さみしかったことを今日もおぼえていて、だから今もさみしいと、にらんだり逃げ回ったり擦り寄ったりしながら甘えて、さみしさを解くことができる。不足を知っていて、なにがそれを埋められるのかも知っている。ときに満たされ、ときに満たされない、ひとつの生命にひとつきりの器を持っている。ねこの記憶はあまり長くないと聞くが、あまり実感はできない。いまの瞬間とは無関係な特定の記憶を取り出すことはできないだろうが、知っていることと知らないことは、ねこの内で確実に区別されている。ふたつはさみしさを忘れる。さみしかったから甘えるのではなく、いま求めているから身体をぶつけにくる。だからふたつは、そもそも、さみしさを解くことはできない。それは記憶が保たれないからではなく、一つひとつが新しいからだ。器を生成しては次へ、また次へ、いくつもの器が足跡になる。いつも新しい器をひとつだけ持って、二度とふりかえらない。