7時59分、イスタンブール着。二、三日ぶりに足を伸ばせたからか、眠りとおしだった。あわてて寝具を片付ける。なにかの間違いでSIMが繋がりやしないかと思ったが、やはり無理だった。ソフィア駅で撮りためたスクリーンショットを頼りに、Halkalı駅からマルマライでYenikapı駅まで、そこからM2線でTaksim駅へ。まだ朝が早いので広場近くのSimit sarayiで暖と朝食をとる。びっくりするほどコーヒーがまずい。
Wifiは例によってメール認証が必要なシステム。宿があるのだし、地図さえ見られればSIMはなくてもいいと思っていたが、地図を端末にダウンロードしているにもかかわらずなぜかGoogleマップが白紙なので、とりあえず携帯会社を求めてİstiklal通りを西へ行く。ボーダフォンで割高なSIMを買い、予約時の記憶を頼りにホテルへ向かうとあっさり着いた。チェックインして二度目のシャワーを浴びているうちにSIMが開通し、マップも復活した。
sıraselviler通りを下る。ねこねこねこ。適当に道をそれながらMeclis-i Mebusan通りへ出た。ガラタ塔への坂道を見上げるだけ見上げて潔くあきらめ、Karaköyの船着場でサバサンドを食べる。金角湾から釣り上げられる魚をねこたちがじっと見ている。
ガラタ橋を渡るのは後回しにして、海沿いのモダンなショッピングモールの端に位置するイスタンブール現代美術館へ向かう。
現代(的な)美術館というのはある意味でチェーン店のような安心感がある。展示物はともかく、一種の作法や館内を満たす空気はどこもほとんど変わらず、建築じたい(一つひとつに固有の価値があるとはいえ)どれも同じ価値観の圏内で作られているものだということを感じずにはいられない。現代における現代は、いま引かれている国境をいくつか超えてすっかり性質が変わるほどの幅をもつとはかぎらない。グローバリズムというセントラリズム。展示は良い。
美術館を出て、Karaköy Güllüoğluでバクラヴァといくつかの菓子を食べる。極端で感動的だった。毎日食べたい。ガラタ橋へ向かうあいだに日が暮れる。小雨のなかを歩いていく。旧市街へ渡り、広場をぐるっと見渡して戻る。身体あるいは精神が昼間よりもやや元気になったのか、今度はガラタ塔への坂をぐぐっとのぼった。が、いざ近づくと近すぎてなにがなんだかよくわからない。
栄えるレストラン街をあとにしてİstiklal通りへ戻り、ホテルの近くのMelekler Ocakbasiで夕食をとった。レンズ豆のスープとチキンケバブ。食後、店のおじさんが小さい飴をくれたかと思ったら紅茶までいれてくれて、これが伝統的な飲み方や!と角砂糖を2、3個入れるように教えてくれた。どこから来たのかと聞くので日本だと答えたら香港かー!みたいなことを言い、さっきそこに座っていた客は教師で云々と話した。でもすべてわたしの聞き間違いかもしれない。もう話の筋を読み取るのもあきらめてにこにこしていたらオレンジをくれた。Hafiz Mustafa 1864でバクラヴァをテイクアウトし、ホテルへ戻って、シャワーを浴び、食べる気力もなくあっというまに眠った。