ねこと暮らして新たに加わった習慣のひとつは、座っている椅子を後ろへ引くとき、そこにねこがいないかどうかを確かめることだった。
キャスター付きの椅子でも、ねこたちはお構いなしにふわふわの毛をキャスターにめりこませて寝転がっていたりする。これが移動することくらいはもう知っているはずなのに、あまりにも無防備にキャスターとキャスターの間に頭をつっこんで眠っていたりする。
特に足もとに暖房器具などがあると、よほどのことがなければねこたちはそこを離れないので、こちらは椅子に座っているときでも一ミリたりとも前後しないようにつねに気を配らなければいけない。
本当にいるかどうかがわかりづらいという問題もある。はちわれの吾輩はパッと見てだいたい所在を判断できるけれども、全身真っ黒のふたつはなかなか判断できない。特に目をつむっているともう全然だめで、いないなと思っていちおう四度見くらいして、あっいる!と気がつくことがある。
そんなときに確実なのは、「いない」を確かめるよりも「いる」を確かめることなのだと気がついた。いないだろうかと目を凝らしても確信は得られなくて、どこかよそのところにいることが目に見えたときに、これ以上ない確信が得られて、わたしは安心して椅子を引く。
仕事部屋の扉を閉めて出ていくときにも、部屋に残っていないだろうか、閉めて大丈夫だろうか、と見渡してもなんとなく胸ががらんとしてしまう。本当にいないかどうかなんてわからない。
けれどふと振り返って、廊下や向かいの部屋からこちらを不思議そうに見ているのがわかると、安心する。いないように見えるものはいるかもしれないけれども、そこにいるのはそこにいるということだ。そんなときねこたちは本当に不思議そうな顔をしてわたしを見ている。ねこはここにいるのになぜいないところを探しているのか、と。