この三日間、決まった電車に乗ろうとすると毎日ダイヤがやや乱れている。決まった時間に家を出て、そのとき来た電車に乗ればいいのだということをはじめて理解できたような気がした。地下鉄ユーザーだったときは、家を出るのは何時でもよく、とにかく発車の三分前までに出入り口の階段を下ればよかったけれども。
帰るのは意外と楽しくて、行くのもそれほど苦ではなくて、気が乗らないのは明日行くために寝るということだ。未来のために続けられることなどせいぜい二日程度だと思う。
この三日間、決まった電車に乗ろうとすると毎日ダイヤがやや乱れている。決まった時間に家を出て、そのとき来た電車に乗ればいいのだということをはじめて理解できたような気がした。地下鉄ユーザーだったときは、家を出るのは何時でもよく、とにかく発車の三分前までに出入り口の階段を下ればよかったけれども。
帰るのは意外と楽しくて、行くのもそれほど苦ではなくて、気が乗らないのは明日行くために寝るということだ。未来のために続けられることなどせいぜい二日程度だと思う。
5:30成都着。またしても紙リストによる乗り継ぎだったが、今度は流れるままに出発ゲートまで辿りついた。しかし国際ターミナルには誰ひとりおらず、ごみのひとつもない。人の気配といえば、どこかのフロアから一度だけ雄叫びが響きわたったきりだった。お店ももちろん開いていないので、東京行きと書かれてはいる出発ゲートで機内食のパンを食べる。本当にここに誰かがやってくるんだろうかと思う。寒さにふるえながら、やがて眠ったらしく、次に起きたときには、もうみんな搭乗を済ませていた。あわてて飛行機へ乗りこむと人がたくさんいる。また眠った。
7時59分、イスタンブール着。二、三日ぶりに足を伸ばせたからか、眠りとおしだった。あわてて寝具を片付ける。なにかの間違いでSIMが繋がりやしないかと思ったが、やはり無理だった。ソフィア駅で撮りためたスクリーンショットを頼りに、Halkalı駅からマルマライでYenikapı駅まで、そこからM2線でTaksim駅へ。まだ朝が早いので広場近くのSimit sarayiで暖と朝食をとる。びっくりするほどコーヒーがまずい。
Wifiは例によってメール認証が必要なシステム。宿があるのだし、地図さえ見られればSIMはなくてもいいと思っていたが、地図を端末にダウンロードしているにもかかわらずなぜかGoogleマップが白紙なので、とりあえず携帯会社を求めてİstiklal通りを西へ行く。ボーダフォンで割高なSIMを買い、予約時の記憶を頼りにホテルへ向かうとあっさり着いた。チェックインして二度目のシャワーを浴びているうちにSIMが開通し、マップも復活した。
sıraselviler通りを下る。ねこねこねこ。適当に道をそれながらMeclis-i Mebusan通りへ出た。ガラタ塔への坂道を見上げるだけ見上げて潔くあきらめ、Karaköyの船着場でサバサンドを食べる。金角湾から釣り上げられる魚をねこたちがじっと見ている。
ガラタ橋を渡るのは後回しにして、海沿いのモダンなショッピングモールの端に位置するイスタンブール現代美術館へ向かう。
現代(的な)美術館というのはある意味でチェーン店のような安心感がある。展示物はともかく、一種の作法や館内を満たす空気はどこもほとんど変わらず、建築じたい(一つひとつに固有の価値があるとはいえ)どれも同じ価値観の圏内で作られているものだということを感じずにはいられない。現代における現代は、いま引かれている国境をいくつか超えてすっかり性質が変わるほどの幅をもつとはかぎらない。グローバリズムというセントラリズム。展示は良い。
美術館を出て、Karaköy Güllüoğluでバクラヴァといくつかの菓子を食べる。極端で感動的だった。毎日食べたい。ガラタ橋へ向かうあいだに日が暮れる。小雨のなかを歩いていく。旧市街へ渡り、広場をぐるっと見渡して戻る。身体あるいは精神が昼間よりもやや元気になったのか、今度はガラタ塔への坂をぐぐっとのぼった。が、いざ近づくと近すぎてなにがなんだかよくわからない。
栄えるレストラン街をあとにしてİstiklal通りへ戻り、ホテルの近くのMelekler Ocakbasiで夕食をとった。レンズ豆のスープとチキンケバブ。食後、店のおじさんが小さい飴をくれたかと思ったら紅茶までいれてくれて、これが伝統的な飲み方や!と角砂糖を2、3個入れるように教えてくれた。どこから来たのかと聞くので日本だと答えたら香港かー!みたいなことを言い、さっきそこに座っていた客は教師で云々と話した。でもすべてわたしの聞き間違いかもしれない。もう話の筋を読み取るのもあきらめてにこにこしていたらオレンジをくれた。Hafiz Mustafa 1864でバクラヴァをテイクアウトし、ホテルへ戻って、シャワーを浴び、食べる気力もなくあっというまに眠った。
昨夜のブカレストのバスターミナルには、閉鎖しているのかと思うほど暗い待合室があった。おそるおそる覗くと窓ガラス越しに人が見えて、なんだガラスのせいで暗く見えるだけか、と中へ入るとまったく外から見たままの暗さだった。駐車場に向かって一面がガラス張りになっているが、目前に事務所のような建物(機能しているようには見えない)があるのでバスの動きは見えないし、窓際ではなぜか大量の観葉植物が待合室のスペースを圧迫していて、反対側の壁にそって一列に並べられた冷たいベンチに座る人びとは、いかにも一時的な客人という名のよそものなのだった。唯一空いていたベンチに座りこんだが、あとから来た二人組はベンチに空きがないのを見て、冷えこむ外へ戻っていった。あの観葉植物とベンチの位置を入れ替えれば席はもっと増やせるに違いないのだが、そもそも増やす必要性がないといわれれば、まあそれはそうかもしれない。人間が人間の移動の合間に待つために作った部屋にもかかわらず、居心地が悪いどころか、この空間においては植物よりも人間のほうが異質な存在に感じられる。
イスタンブールからブカレストへ行く深夜バスでは学生たちが尋常でなくやかましかったが、どうも平均的な、というかようするに他人どうしの乗客ばかりでほっとしていたら、今度は運転手がたいへんご機嫌だった。運転しているあいだも騒がしいわけではさすがにないが、運転が達者なぶんすさまじく荒い。がんがん飛ばしてハンドルを切る。パスポートコントロールでバスをとめたと思ったら、外は0度前後なのに半袖でドアを開け放して、手近な乗客に延々と話しかけている。寒すぎて眠れない。覚醒と睡眠のグラデーションを、ステレオから流れ続ける懐かしのポップミュージックが追い回してくる。到着予定は7時で、明るくなるまで時間が稼げていい感じだと思っていたのに、元気すぎる運転手のおかげで6時前にソフィアに着いた。マイナス1度。
日中は適当にソフィア市街をぶらついて、夜行列車でイスタンブールへ向かうつもりだった。切符のオンライン販売はなく窓口のみだったので、まだ夜の明けないバスターミナルから向かいの駅舎へと早足に道路を渡る。どちらかというと外よりも駅舎内のほうが空気が荒んでいるように感じたが、こうも冷えて、まわりに手ごろな施設がなければ、駅に人が集まるのは当然だろうと思う。わたしがこの場の秩序を乱しているにほかならない。窓口で職員にブチギレられながら切符を買い、バスターミナルに戻る。併設のカフェでラテを注文したら支払いは現金のみで、ATMを探して20Leiを引き出し、みるみる冷めていく味のしないラテとともに夜が明けるのを待った。
駅から大通りをひたすらまっすぐ行けば中心街に着く。そこらじゅうに遺跡などがオープンに展示されており、ルーマニアからすると中心街も都会的で、おおなんだか華のある街、と思ったが、しばらく歩いているとまた印象が変わってくる。豪奢な大聖堂、共産党政権時の巨大な建築、街のあちこちに並ぶさまざまな英雄たちの彫像。立派で歴史があって、でもなにかに触れたような気がしない。それはわたしが適切な手を準備できていないということで、ついでに相性の問題でもあり、ただそれだけのことだが、まあ、観光客というのはつねに外部から勝手な価値をつけて回るものなのだった。無礼でない観光というのはほとんど成立しないんだろう。
夕暮れまでぶらついて、バスターミナルに預けていた荷物をまた背負う。駅は朝よりはにぎやかで、列車を待つ人たちの姿もちらほらとあった。残しておいた硬貨でトイレに行く。一日じゅう電源にありつけず、寒さで消耗するスマホのバッテリーがぎりぎりだった。こちらももう底を尽きそうなモバイルバッテリーからすこしだけ充電し、翌朝着くイスタンブール郊外の駅から市街までの移動情報を切れぎれに収集する。SIMカードはヨーロッパ圏のものだから、トルコに入れば切れてしまう。ほんの十数年前までは出国前にあらかじめひととおりの情報を紙と頭に溜めこみ、インターネットなしでふつうに旅行ができていたのに、いまとなってはまるで信じられない。
発車の十五分ほど前になってようやく時刻表にホーム番号が出たので、薄暗い地下道に降りていく。ホームは十いくつかあるのに、時刻表は埋まらず、ホーム間を移動するための地下道には人がいない。市街の広い歩道も、それをありがたく感じるほどの往来はなかった。季節のせいか、あるいは時の流れをもっと遡ったり進んだりすれば、余白を感じることはないのかもしれないが。10番ホーム。ほかに停まっている列車はないのに、書かれてある出発時刻も行き先も違うので焦ったが、どうやら途中で切り離すようだった。時刻が違うわけはないと思うのだが、よくわからない。やはり人気のないホームをどんどん進むと、切符の印字と同じ車両番号にたどりつき、どこからともなく現れた職員のおじさんが切符をぱっと見て、乗れ乗れというようなことを言いながら笑った。
イスタンブール市街にはそこらじゅうにねこがいる、ということは一日目に実際に見て知っていたが、国境駅にもいるとは知らなかった。眠いし寒いし暗いしSIMは圏外になってしまったしなにもわからなかったが、トルコ側の駅なのかもしれない。列車を降りて正面、事務所のようなパスポートコンロールに入るまでに二匹、それからパスポートコンロールのカウンター、ガラスと柵を挟んでパスポートを受け渡すまさにその間で暖をとるのが一匹。ねこの上をパスポートが行き交う。外へ戻って車両検査を待つあいだに二、三匹。乗客の足にすりよったり、荷物をかいだり、追いかけあったり、置き餌を食べたりする。一日に何便がここに停車するのだろう。やがて小雨が降りはじめる。
暑くて眠れなかったが、夜中に暖房を切ってからはすぐに寝ついたようで、6時に起きた。二度寝して8時。やけに順応しているなと思ったが、5時間の時差というのはつまり、出国前の生活リズムとほぼ同じなのだった。チェックアウトは12時だからその前に身軽に街を歩いておこう、余裕だろ、と思っていたが、案の定だらだらと過ごし、ぎりぎりになって宿を出た。
今日からぐっと寒くなり、この時期のヨーロッパらしい頬の冷たさが気持ちよかった。昨夜よりは人の少ない、けれどまだまだ浮ついた通りを歩き、Sfatului広場へ出る。電灯は曇りによく映える。曇った昼間のメリーゴーランドはすてきだった。旧市街をうろつき、パパナシを食べにいく。
パパナシの提供に20分かかるといわれ、列車の時間との戦いがはじまる。なにもかも宿を出るのが遅かったのが悪いといえばそれはそう。たしかにほぼ20分ちょうどで出てきたパパナシは、どう見てもひとつでいいボリュームのものがふたつ乗って一人前だった。おいしいのは間違いないのだがやはり量が多いし、とにかく時間がなく、最後にはフラットホワイトで流しこんだ。こういうときにはいつも日本のレジ会計システムを恋しく思う。
小雨のなかをバス停まで小走りで向かう。昨日のようにバスが一本飛んでしまったらおしまいだったのだが、無事にやってきたバスに乗りこんだら、かなり余裕をもってブラショフ駅に着いた。駅舎をぼんやり眺めて列車を待つ。
14時42分ブラショフ発、ブカレストへ戻る。ブラショフを出るとまもなく森が連なり、路線そばの地面に雪が残っている。いぬ。にわとり。ルーマニアは今まで行ったどこの国よりカルフールが多いように思うが、まあ実際にはフランス国内が最多なのだろう。ところで行きと同じくまた座席を間違えていたらしく、CFRの車両と座席の確認方法がぜんぜんわからない。移った先でおじさんがにこやかに迎え入れてくれたが、彼も席を間違えていることがあとになって発覚した。
昨夜、ブラショフに着いて出国後ようやくはじめての宿に入り、Sergianaで食事を終えるころには、もう成田か、せめてイスタンブールに帰ってもいいと思った。なにせ疲れていたので。また夜行と夜行を乗り継ぐなんて信じられないと言った、そういう行程を作ったのはもちろん自分たちなのだが。でも、昨日と今日で人間はおなじではない。満員の車両でリュックをひざに抱えながら、暮れてゆく霧の濃い景色を眺めていると、もう、ぜんぜん平気だった。昨日と今日はおなじではないので。
車両を若い声が渡る。短い動画が何度も繰りかえされる。若者たちが小さな画面をのぞきこんでいる光景がそちらを見ずともわかるようだった。手のひらの中から何度もおなじ叫び声が上がる。何度も笑う若い声。目を閉じて、読めない文字を見るように会話を聞いている。
18時すぎにブカレストに着く。もうすっかり暗かったので、早足でメトロに潜り、Piața Uniriiまで。旧市街をぶらついて、食事をし、メトロでPăciiのバスターミナルへ。みんな大好きFlixbusに乗りこむ。
彼らは夜中じゅう騒いでいて、ろくに眠れなかった。疲れきっていなければそれほど気に障らなかったかもしれないが、本当にいらいらして、延々と続く会話の意味がわからないのは幸いだったのだと思う。ようやく静かになった車内の疲れた窓に朝陽が焼きつき、国境を超えた橋の下に霧がかったドナウ川がつづく。夜中じゅう走ったバスに晴れた朝が飛びこむと、もたれかかった長い夜はあっというまに後ろへ流れ去って、もう気配すら残されない。むかし朝が嫌いだったのは、同じ原理なんだろうと思う。
ブカレストに着いたら旧市街をすこし回って、それから昼前の列車でブラショフへ移動するつもりだったが、バスが三時間遅れで到着したので、急いで北駅へ向かった。PăciiからメトロM3線でEroilorへ、M1線に乗り換えてGara de Nordまで。東欧らしいメトロ建築が美しく、駅ごとに壁面のデザインが変わる。
北駅で列車が予定変更になっていないことを確認し、トイレに行くために、薄暗い駅構内でルーマニア・レウを引き出した。地下につづくトイレへ。そういえば昨夜のバスターミナルでもトイレは地下だった。海外にいるとトイレと水のことばかり考える。サンドイッチと、大きな揚げパンを買ってベンチで食べる。CFRでブラショフへ。列車は超満席だった。
なぜというのも失礼な話だが、なぜ満席なのだろうと思いつつブラショフ駅を降りると、やはり人が大勢いる。こども連れの家族やカップルのような二人組などが多く、住民っぽくはないのだが、みんな軽装で、それほど遠くからやって来た雰囲気でもない。切符を買うのに並んでいるうちにバスを一本逃し、しかたがないので次を待っていたが、予定の時刻をすぎてもまったく来る気配がない。逃した便も他の路線バスもほとんど定時どおりに動いているようだから、なにもかもがルーズなわけではないんだろうが、本当に来ない。何人かが列を抜けてタクシーに乗りこんでいった。
結局そのバスは姿を見せず、次の便が予定どおりにやってきた。二本分の乗客をつめこんだバスは乗車率250%みたいな様相で、乗るにも降りるにもひと苦労する。というか、なぜこんなに乗っているのか。みんなどこから来てどこへ行くのか、朝ならまだしももう日が暮れかけているこの時間から家族で向かうような場所があるのか、とにかく不思議に思いながらホステルのあるRepublicii通りへ入ると、またしても人が大勢いる。ブラショフは古都だという。じゃあ嵐山みたいなものか、それにしてもこんなに人がいるものか、と思いながらチェックインをすませて、ようやくはじめてのシャワーを浴び、すっかり着替えて背負う荷物もなく街へ出ると、通りはさらにひしめきあっていて、休日のルミナリエを思い出すほどだった。
まっすぐ400mほど先のSfatului広場へ歩いていき、大きなクリスマスツリーが見えたときにようやく理解した。日が落ちて、特別な電飾にかがやく広場で、ひときわ明るいメリーゴーランドがこどもたちを乗せて回っている。ホットワインの蒸気。カメラを起動したスマホの画面のなかで、誰も彼もにっこり笑っている。
おまつり騒ぎの広場を抜けて、Sergianaでサルマーレとママリガ、シュニッツェル、サラダ、白ワイン。今夜眠ったらもうイスタンブールに戻るまでベッドでは眠れないことに気がつき、立っている計画のすべてを放棄したくなった。
ほぼ定刻でイスタンブール空港着。着陸後の美しい音楽がやけに郷愁的で時空が歪む。トイレで顔を洗ったあと出口に向かっていると、CAさんの移動と重なり、機内でお世話になったお兄さんが手をふってくれる。
到着エリアへ出る前にATMでトルコリラをいくらか引き出そうとしたが、手数料が高すぎてやめた。2018年開港のまだ綺麗な空港だが、Wifiはパスポートをスキャンするシステムで一日一時間のみらしく、ケチくさいなと文句を言う。しかたがないので一時間で今日のおおまかな予定を決める(夜行バスの予約以外は白紙)。市街地図のダウンロードをすませて、交通機関を調べて、あとはほとんど時間切れだった。ロビー内のATMをみっつ回り、手数料のいちばん安いATMで少額のリラを引き出す。とりあえず旧市街に行けばいいだろうということで、階をひとつくだってHavaistの12番バスに乗った。9:10ごろ出発。バスが空港を出ていく。この時期のヨーロッパの朝というのは、ほとんど夕暮れみたいな色をしている。イスタンブールも同じらしい。
Beyazıt Meydanıまで行くと書いてあったような気がするが、バスはAksaray終着だった。東へ歩いていく。12月になるというのに暑いくらいだった。
三十分弱でBeyazıt Meydanıに着くと、建物のあいまに水平線が覗く。お腹がすいていたしトイレにも行きたかったしWifiもほしかったが、ひとまず広場のベンチに座って、機内食のパンを食べて休んだ。ねこはたしかに多いが、いぬもいる。観光客と観光客のあいだで眠り、遊び、ときどき記念撮影にも混じる。
エコノミーかつ狭すぎずトイレのありそうなレストランを求めてひたすら歩き、ようやく辿りつく。11時45分。ケバブとミネラルウォーター。どでかいトラックがテーブルの角すれすれを通り抜けていく。気分を変えて歩く。ねこといぬと鳥がときどき小競り合いしながら行き交う公園。あちこちからトウモロコシを焼く煙があがる。
Wifiのあるところで翌朝のための情報収集がしたかったのと、充電もしたかったのと、なにより出国から30時間経っていて、荷物を背負ったまま歩きまわったので疲れすぎていた。Wifiはあるが繋ぐためにはまずネット回線が必要です、というお決まりのシステムに辟易し、パスワードで繋がせてくれるカフェを探して昼すぎから夜まで引きこもる。
いつのまにかネオンが灯った通りを抜けてスーパーへ行き、翌朝ブカレストに着くまでの非常食を買う。券売機でトラムの切符を買おうとしていたら若いおにいさんが突入してきて、親切に教えてくれるので場を離れようかと思ったが、どうも害がなさそうだったのでそのまま操作してもらった。おかげで買うつもりのなかったイスタンブールカードを買うはめになり、とてもいい笑顔でコミッション!と言うので、笑顔で元気よくお礼を言ったら手をふって去っていった。満員のトラムでAksarayまで、それからメトロM1線でOtogarへ。待ち時間にレンズ豆のスープ。とにかく眠りたかった。
みんな大好きFlixbusでブカレストへ。予約していた席に人がいたので変わってもらう。定時出発が叶いそうだったが、やたらと騒がしい修学旅行のような団体がどうも座席予約をしていないとかなんとかで座席騒動が勃発し、なぜか乗客のほぼ全員がバスを降り、どう話がついたのか再び乗りこみ、また彼らは大騒ぎをはじめていたが、すべてを強制終了するようにバスが動いた。とにかく眠ろうとした。
吾輩にいってくるねと言う。コミュニケーションが成立するからつらくなるのだなと思う。これが共感だというなら、今日の共感はずいぶん遠くへ来た。
きのう取ったばかりの航空券。謎に包まれた四川航空。オンラインチェックインのシステムがないのでめずらしく四時間も前に空港に着いて待機していたが、カウンターを間違えるという初歩的なミスで遅れをとった。チェックイン中、ほがらかな職員の表情がどんどん険しくなり、ブッキングができていない可能性をまっさきに考えた。となり席の同僚に尋ね、二人がかりになり、上司に声をかけて三人がかりになり、全員が険しい顔をする。中国語が早口で交わされて、頭をひねりつつキーボードを打ちまくるが表情は全員どんどん暗くなる。上司がさらなる上司を呼びに行く。それを待つ間、ほがらかな職員は一晩煮込んだ大根みたいにくたくたな表情で、成都からイスタンブールへの便のチケットがなぜか発行できないのだということを教えてくれた。あのうすみません予約がなくて……という事態を想定して諸々のキャンセル手続きのことまで考えはじめていたこちらとしては、その深刻さがまったくわからない。のんびり待つ。
さらなる上司が大股の早足で駆けてくる。さっきの中国語とは比べものにならないほどの早口な日本語で席を強奪し四人がかりになる。それでもなかなかうまくいかず、いったん離席して走って帰ってきたと思ったら、プログラムのエラー文字列のようなものがびっしり書かれた薄紙を持っている。勉強になります!といわんばかりに後ろから覗きこむ職員が増え、五人がかりでチケットを吐き出すのに必死になっている。システムってたいへん。ずっと見ていられそうな光景だったが、その後この上司が十分くらいかけて解決した。
謎とは未知ということで、未知とは単に知らないということだ。四川航空の機内はちょうどいいエコノミー感に満ちていた。食事はどれもやや辛かったが、CAさんが真っ赤なソースの入った瓶とスプーンを手に通路を練り歩いているので、わたしが食べているこれはまだ辛い食べものとは呼べないんだなと思った。お茶の品揃えがよく、白湯も出る。機内食のボックスにはじめからでっかいパンが入っているのに、さらに別のでっかいパンをトングで配る。パンいりますか、はい、ではトングで取ります、ではなく、トングで挟んだパンを食事中の乗客の顔の前に突き出し、このパンいりますか、という流れ。もらった。
成都の空港はたぶん数年前に利用したことがある。おそらくブダペスト行きで、給油のためだったか一度降ろされて、降ろされたその場で我々には突然でっかい花束が贈られた。国際線就航記念だかなんだかで、地上の関係者たちはニコニコしている。先頭にいた男性が代表して受け取らざるを得ず、どうしたらええんや、と花束の処理に困惑したままそれを抱えてトランジット列に並んでいた。いや、トランジットはしてないか。なんの列だったのだろう。なんにせよ、それが成都だったように思う。
もう四年くらいは経っているはずだから国際ターミナルにも活気が出たかと思いきや、Transferの案内に沿っていくとなぜか入国審査になり、職員に尋ねてもウーン……と首をかしげ、すでに発券されているイスタンブール行きのチケットを見ながら、ホテルは? えっこれ今日のフライトなの? と言う。じゃああっちに戻って、と戻らされた先は機械のひとつもない小さなカウンターで、たしかにInternational Transferと書いてはいる。が、いったいどうなってんだ、という顔をした人たちが二十人くらいいるばかりで、職員はひとりもおらず、進行方向と思われる通路はベルトパーテーションが阻んでいる。
結局、徒歩五分くらいの距離にある乗り継ぎターミナルにたどり着いたのは約二時間後だった。どうやら二、三ある乗り継ぎ便の乗客は各発着地ごとに紙のリスト(!)で管理されており、行っていいと言われて進んだパスポートコンロールではなぜかパスポートをコントロールしてくれず戻る場所も待つ場所もないので窓口の前にひたすら人が溜まっていく。例の紙リストが一向に仕上がらないのが原因だとわかるまでにも一時間くらい待った。きっと誰もが二度と来てたまるかと思っただろうが、一週間後にはまたここに来る。
昨夜、いやに暑くて眠れず、保冷剤をとりにベッドを降りたら、真っ暗なリビングにもっと黒いふたつの姿があった。カーペットの上へうれしそうに倒れこんでお腹をみせるので、しばらく撫でる。もとはといえば一緒に寝ていたのに、人がきてうれしいならどうしてここにいるんだろう。おいでねと言って先にベッドへ戻ると、すぐにふたつがベッドに登ってくる。わたしは暑くて、足元でふとんを寝床にしている吾輩のじゃまにならない程度にふとんを寄せ、窓のほうへ小さく横向きになって保冷剤を握る。ふたつはわたしの身体のささやかなカーブにそって座り、窓のほうを向いていた。
写美にて『風景論以後』。言いっぱなしの印象で、かっこよく見えるものを並べ立てて結局なんの収拾もつけない、よくわからない構成だった。不勉強でなければなるほどねと頷けたのかもしれないが、感想などを覗いているとそうでもないらしいということがわかってきた。なるほどね。清野賀子の作品はとてもよかった。
三階では新進作家展。写真というのはわたしはどちらかといえば好きなほうで、でも根本的にというべきか、本質的にというべきか、作品としての写真は本当にいやらしいものだと思う。非日常的とされるものを被写体に選ぶときには、なにかを非日常と自分の視点でみなすばかばかしさと向き合わざるをえず、日常的とされるものを被写体に選ぶときには、ただの日常であるから日常であるはずのものを非日常化するばかばかしさにぶつかるはめになる。
自分の思想や目的が額縁であるかのように、現実あるいは他者を所有する。「普通じゃない」人たちを写して、それを部屋じゅうに飾って、なにが言えるのだろうと思う。「いろんな人間が生きていること」「すべて普通であること」に感じ入るために、風景に馴染まない人たち、目立つ人たち、追いやられた人たち、自分の理解の及ばない人たちを見ている。そういう人間が生きていることを知るのはいいだろう。生きているのだから。学術研究や、衝撃を受けた一個人が飛びこんでいくのも、相手が拒まなければそれでいいんだろう。でもこれは吐き気がする。その次にあったのは、写真はあるものを撮る……見るからあるのではなく、あるから見る、といったような話で、まったく気が合わないと思った。写真は、撮ることで現実を虚像に変えてしまうものなのだと思う。虚像は悪ではないけれど、それ自体のありかを捉えられるわけではない。写真は好きなほうのはずだが、写真展にはあまり足を運ぼうとしないことに気づく帰り道、ふいに奈良原一高の『王国』を思い出していた。